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妹 [絆]

2010年4月24日(土)

今日は、息子の妻のお父さんの葬儀に夫婦で出かけた。
3月には、僕の妻の妹の夫の葬儀があり、なにか次々と
身近な人が永久の別れをしていくようで、さびしい気持ちになる。

僕の妹を21日に見舞いに行ってきたけど、話の出来る状態ではなかった。
余命いくばくもない予感に悲しみをこらえて帰宅した。
妹も肺がんで、もう治療さえ出来ない状態なのだ。

23日には、京大病院で、自分の肺がん手術後の検診に行った。
担当の先生から「まったく問題ない!」といわれたが、
妹のことが脳裏にあり、なにか素直に喜べない。

妹といえば、いつも思い出すことがひとつある。
幼い頃の出来事である。
僕が小学校3年生の頃だったが、6キロほど離れた隣町のお祭りに
母からもらった小遣いを握り締め、妹を連れて二人で歩いて出かけた。
いくつもの峠を越えて、人家もない田舎道を二人はしゃいで歩いた。
町に着くと妹は大喜びで、僕もうれしかったが、
妹はいろんなものを欲しがり、結局、自分の小遣いは使い果たし、
なお、欲しがるので、僕の小遣いを妹のために使い果たしてしまった。
夕闇迫る山道を風船を手にした妹を連れて帰る。
最後の峠を上り詰めたところに、長い暗いトンネルがある。
ところが妹は、怖いといって、トンネルに入ろうとしない。
一緒にいるから大丈夫だというのに、絶対に動こうとしない。
人気さえない山道は、もう暗くなりつつあった。困り果てた僕が
背負ってやるからというとやっと妹は納得し、僕の背中に乗った。
トンネルを出て、少し下ると、谷をこえた向こうに我が家が見える。
谷間の家々には、すでに灯りがついていた。
が、妹は、僕の背中から降りようとしない。
坂道を下り、今度は息を切らして坂道を登り、丘の上の我が家まで来ると
妹は、僕の背中から降りて、走って家に入っていった。
まるで、自分で全部歩いて帰って来たかのように。
だけど、憎めない妹だった。

その頃は、まだ人生は、始まろうとしていたのであるが、
今僕らは、人生の最後に
差し掛かっているのだ。
長くて、短い人生を振り返ると、万感の思いがよみがえってくる。

昨年5月、まだ動けるうちに故郷が見たいという妹を故郷に連れて帰った。
母親にも合わせた。
母親は、僕らが小さいときから、繰り返し僕らにいっていた事がある。
それは「親より先に死ぬのが最大の親不孝だ。親不孝をしないように!」である。
だから、妹のことは母親には言えないのだ。
母親は、今年で92歳。
ほとんどベットに寝たきりだけど、
トイレは自分でするし、食事の介護は要らないのだ。
おまけに、ぼけてはいないし、耳が遠いだけである。

故郷に帰ったついでに、例のトンネルのある峠に二人で出かけた。
今もそのトンネルは、ある。
当時と違うのは舗装されていることだけだ。
彼女の記憶は、ぼんやりしているようだけど、僕には鮮明に残っている。
トンネルを出たところで、車を止めて、妹に散歩をさせた。
緑が目にしみると妹は、うれしそうに僕に話しかけた。
妹の笑顔が、僕には、痛々しいのだ!

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IMG_9017-2.jpg

僕らは、親の意に反して、それぞれ別々だったけど故郷を出た。
そして今、妹は、自分の命の行く末を知り、故郷と母親の見納めをしているのだ。
あの古い歌「人生の並木道」が自分たちの歌のように思えていたが
今でも、その歌を聴くと涙がこみ上げてくるのだ。


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