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疎水散策 小関越え [散策]

2013年4月23日(火)

「友人が山科から琵琶湖まで散策する企画をしてるけど参加しない?」
と妻が誘ってくれた。
「ただし、途中に”小関越え”があるそうよ」という。
僕は、坂道を歩くのは、大の苦手なのだ。
肺の病で、すぐ息切れして、苦しくなる。
「ゆっくり歩いたらいい、遅くなっても私がつきあってあげる」と言うので
参加することにした。

JR山科駅に10時半集合。
総勢8名で出発、洛東高校を横手にみて、疎水沿いを歩く。

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途中、道路沿いの民家の前で、パンフレットが置いてあった。
自由にどうぞというので、いただいた。
疎水沿いの散策には、24ページの貴重な資料で、よくできた内容である。

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散策路もきれいに整備されていて、気持ちよく歩ける。

諸羽トンネル(京都側)
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諸羽トンネル(琵琶湖側)

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一燈園

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一燈園関係の「小さな直売所」でトマトなどを売っていた。
で、早速ご婦人方は、お買い物!

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疎水沿いの道を進む。
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さらに進むと藤尾川が道沿いに。
その川の中でサギが一緒にお供してくれた。

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もうここは、滋賀県
第一トンネル西口洞門に到着
「扁額でたどる琵琶湖疎水」という看板があった。

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眼下にみえる洞門には、山縣有朋 揮毫の扁額が見える。
看板にも解説がある。
「廓其有容」(かくとしてそれいるることあり)
( 疏水をたたえる大地は奥深くひろびろしている)

やがて、僕の苦手な上り坂となる。
参加者は、野の花などを眺めながら、
「あれは食べられる」「・・・・して食べるとおいしい」・・・
野の花を愛でるかと思えば、その実、食への関心の方が大きいらしい。

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が、僕は、その仲間には入れるような状況ではない。
とにかく、息を切らして、ゆっくりとしか、歩けないのだ。
で、どんどんみんなに遅れていく。

そんな僕に妻ともう一人男性がつきあってくれた。
ありがとうです。

ところが、先の食グループは、野の花とのつきあいで、
ますます話に花が咲き、スピードも落ちて、
僕はおかげで、追いついた。

さらに、追い抜いて、一人ひたすら歩く。
とうとう、小関峠にたどり着いた。
本当にホッとした。
もうこれで、難所は抜けたという思いと、
がんばって歩き通したことへの満足感が胸を膨らませてくれた。
一人、先にさっさと歩いていた人が峠で待っていてくれた。

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が、食のグループは、なかなかやってこない。
二人で待つことしばし。
なんだかウサギとカメの話を思い出したよ。

ようやくやってきた妻を見ると帽子にアケビを巻き付けている。
敗残兵みたいだと言いながらも、なぜかうれしそうに僕に自慢する。

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峠の近くに「喜一堂」というお堂があった。
地蔵さんがまつられている
工事で発見された地蔵を地元の人が平成元年に建立したという。

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そこから琵琶湖側の道は、今登ってきた道よりも傾斜のきつい坂が
延々と続いている。
木や花を眺めながら、歩いていたら、登ってくる婦人がいた。
「たいへんですねえ」といったら
「どうってことない。毎日歩いてる。庭みたいなものです」と
さっさか登っていくのだ。
びっくり仰天である。

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坂道を下りきると、大きな墓地が有り、寺もある。

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石の道標が立っていて、そばに説明の看板があった。

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が、それと同じ場所に恐ろしげな案内板もあるのだ。
後で調べてみようと思った。

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長等神社前をとおり、

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疎水第一トンネルの洞門を見る。
こちらは、鉄の扉がついている。

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大津閘門に至る。
これって「こうもん」って読むのだが、知らんかったなあ!
船の航行のための水位を調整する所だというのだ。
勉強になりましたです。

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そこから浜大津まで歩いて、遅い朝食会。
料理は中華料理だけど、なんと言っても、生ビールがおいしかった!!
で、おもしろい話で満開!
楽しい一日になりました。

でもって、例の恐ろしげな看板の話
昔、本願寺の蓮如上人が比叡山延暦寺衆徒から親鸞聖人の木像の真影を守るため、
比叡山と対立する三井寺にその真影を預けた。
その後、文明12年(1480)山科本願寺が建立されたので、
預けた真影を返してもらうために門徒衆が三井寺を訪ねた。
ところが三井寺は「真影を戻してほしければ、人間の生首二つ持ってこい」
という難題を持ち出したのだ。
光徳寺の門徒で、源右衛門、源兵衛という漁師の親子がいた。
この難題を聞いたふたりは、自らの首を差し出そうと心に決めた。
父源右衛門は、息子源兵衛の首を持ち三井寺に出向いた。
「もうひとつの首は?」と聞かれて
もとより覚悟の源右衛門は「このわしの首だ」と行った。
三井寺は、親子の殉教心に感じ入り、真影と源兵衛の首を返した。
という話である。
が、なぜか源兵衛の首は、堅田の光徳寺、ここ等正寺、
さらに両願寺にもあるという。
源兵衛の首が三つある。
三寺ともに自分ちのところが本物だといってるとか。
どうなってんの?


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